昨日、新宿で行われていた「願わずとも、愛。」を見に行きました。
私が原案をしているWゆきの声を務めていただいているしほんさん出演の舞台です!
2/11まで行われている公演なので、ぜひ見に行っていただきたいのですが、今回は舞台の感想を書きたいと思います。
ちなみに、以前見に行った「ヤミイチ」と同じ友池一彦さん脚本・演出舞台でした。しほんさんも含め、ヤミイチでも出ていらっしゃった方が3人いらしたのですが、役柄が全然違うので、やっぱり役者さんはすごいなあと思いました。
(その感想はこちらから→「ヤミイチ」を見て)
昨今、話題になっている宗教2世がテーマになっており、どんなお話なんだろうと思っていたのですが、すごい泣きました。なんか自分の中で弱いところがあって、そこを突かれると涙が出てしまうみたいな現象があるのですが、どんぴしゃそれでした。
もうラストのほうとかずっと泣いていて、マスクが濡れちゃって大変でした(笑)
以下、ネタバレが含まれるので、見たくないよという方はBack推奨です。
まず1つ思ったのは、宗教って何なんだろうなあというものでした。
日本では多くの人が宗教には入っていないという自覚を持っています。しかしながら、道徳と宗教には密接な関係があります。宗教では、基本的に禁忌や戒律があって、「これは良いことだ、これは悪いことだ」という善悪判断の基準が示されます。この善悪判断(つまり道徳)の統一は集団が一定の秩序を保つために必要になってきます。どんな集団にも、道徳があるのです。
そして、道徳は宗教だけではなく、「宗教なんか信じていない」という人だって持っているわけですよね。
その意味で、私たちはすべからく名もない宗教を信じていると言えます。
ではなぜ、宗教が怖いものだという印象があるかと言えば、名の付いた宗教を信じている人は自分と道徳観が違うからです。道徳観の異なる人と生活をするというのは、様々な意味で困難を伴うし、不安になります。加えて、新興宗教の場合は布教活動があるので、余計「怖い人たち」という印象がついています。実際、事件も無いわけではありませんからね。
人間は自分と違うものや分からないものに不安を覚える生き物なので、これは仕方のない部分もあります。
でも、それだけで終わりにしていいのかとも思うわけです。
作中では、宗教の問題と並んで、バイオ農業の導入をめぐる対立も描かれます。
このバイオ農業に関しても、先に書いた宗教問題と似た構造になっているように思いました。
「分からない、知らないものは怖い」という人間が自然と持つ感情。それをどうしていけば良いのか。
そのままその感情だけを膨らませていくのか、バランスを取るのか、逆に分からないものに振り切って、すべて信じるのか。
そして、これはきっと人間関係でも同じでしょう。他人のことなんか本当は全然よく分からないのです。それでも私たちは何らかの関係を結ぼうとするわけです。そのときの感情も同じなんじゃないか。
作中で何度も語られたセリフは「向き合う」というものでした。
結局のところ、向き合うしかないのだと思いました。
「私は私だ」と思いながら、相手が何をしようとしているのか、何を求めているのかを感じて、そのうえで自分がどうすべきかを判断する。すべてを受け入れることはできないし、それはやっぱり不健全だと思います。でも、相手と自分が調和できるように「向き合う」ことは不可能ではない。相手がそれを拒絶していては無理ですが……。
宗教、バイオ農業、人間関係の3つが、ものは違うのだけど、同じ構造の上に立っているのではないかと思えたことは、この作品を見ての大きな発見でした。
もう1つ思ったのは、自分の弱さでした。
主人公は作中で小さい頃に死んでしまったお母さんの幻想と何度も会話をします(ちなみに、このお母さん役がしほんさんでした)。
回想では優しい感じのお母さんなのですが、幻想ではめっちゃテンションが高くて、面白かったです(笑)
幻想のお母さんは主人公の人生をきっとずっと支えてきていて、彼女の心のよりどころだったのだと思うのです。
でも作中最後の方で主人公が窮地に陥ったとき、すぐには出てきてくれませんでした。(この辺から私ずっと泣いてた)
なんでこんな泣けるのかなと思うと、「拠り所を失う怖さや絶望感」みたいなものがあるからだと思いました。
私は人に甘えるのが非常に下手で、甘えるということが全然できない人間です。
元をたどっていけば、小さいころからたぶんそうで、「いい子でいなきゃいけない」みたいな強迫観念的なものがあって、それでこそ自分の存在価値があるんだ、そうやれば評価されるんだという変な学習をしてきたように思います。
本当に思っていること(そしてそれは社会的には堕落)が言えないんです。怒られると思うから。もう大人だから、実際は怒られないけど、過去の記憶が怒るのです。
それでも、助けてほしいときってあるわけで、そういう発信をすることも稀にあるけど、素直に言えないので分かりづらかったりするんですよね。そうすると、結局助けが得られなかったりする。
そういう助けてほしい時に助けてもらえなかった絶望感があの瞬間にものすごいリンクして、そこからずっと泣いてたんですよね。
でも、それだけじゃなくて、そのあとお母さんが出てきて「周りに合わせる必要なんか無い」と言ってくれたり、思い人と通じあったところで救われた気持ちにもなりました。
まあ、やっぱり本音の部分に図らずも触れると、自動的に涙が出てしまうということなんでしょうね。
他者を信じたいけど、どこか信じ切れていなくて、大切にされたいと思うけど、じゃあそれって何をもってそうなのかといったら、よく分からない。
人間がとても怖いし、ダメな奴だと思われたくない。だけど、こういうのって良くないよねというのも分かっている。そういう矛盾がぐるぐるとしていて、生きるのに常に疲れて、誰か助けてくれとどこかでいつも感じていたりするという。
そういう個人的な背景もあって、とても感情が揺さぶられた作品でした。