人はなぜフィルム写真に惹かれるのか?

人はなぜフィルム写真に惹かれるのか?

最近、カメラ好きな人や若い人たちの間ではフィルムカメラへの需要が増加しているそうです。私(30代前半)が小学生の頃に使っていた「写ルンです」がまた売れるようになって、欠品になっているところもあるとか。あとチェキも欲しい人が増えていて、フィルムが売り切れてるみたいな状態になっているというニュースも見たことがあります。

今やカメラはスマホに付いているので、だれでもいつでも写真が撮れる時代です。アンドロイドだとピンキリですが、iPhoneなら画質もデジカメレベルです。

そんな時代に、なぜフィルム写真なのか?

カメラ好きな人のブログなどを読めば、色々と理由めいたことが書いてあるわけですが、今回はもう少し理屈で考えてみたいと思います。

1.私たちは見ているようで見ていない

私たちは、モノを「見る」ということをしています。この仕組みは学校で習うように、目の水晶体などを通ったモノの像が網膜に映り、それを視神経が感知して、脳に情報を送ることで「見える」という流れになっています。

そして例えとして、網膜はフィルムカメラで言うところのフィルムの役割をしているよなんて言われます。

そうすると、私たちは網膜にさぞ立派できれいな「像」が写っていて、それが直接脳に行っているんだと思うでしょう。

ところが、実際はそんなこと無いらしいのです。

視神経が脳に送る情報は「光」です。「像」ではありません。

その「光」の情報から、脳が「作ったもの」が私たちが見ていると感じるものになります。

例えば私たちが本を読むときに、視界では本全体をとらえているので、網膜には本全体の「像」が写っています。ところが、私たちは読みたい行から離れているところの文字を読むことができません。文字があることは分かるけれど、その文字が何なのかは分からないのです。

これは脳が視界を作るときに「読みたいところ以外の情報は省略する」という作業をしているからです。

あるいは、特定の色がよく分からないという人もいますが、これも脳がその色を認識する働きをしていないために発生します。

つまるところ、私たちは「見ている」のではなくて、脳が作った情報を「見させられている」のです。だから、同じものを見ていても、人によって違う見え方をしている可能性は十分あります。私の当たり前は、あなたの当たり前とは違うかもしれないわけです。

なんでこんな話をしたかと言うと、脳が「見せる」ことがこの話のカギになるからです。

2.粗ければ粗いほど、脳が作る幅が広がるのでは?

最近のスマホカメラは基本的に画質が良いです。きれいで、はっきりした画像を誰でも簡単に撮影することができます。

一方、フィルム写真のほうは、スマホやデジカメで撮った写真に比べて、ぼけたり、色の薄いような印象を持つ人が多いはずです。プロの人が撮れば別なんでしょうが、素人が撮る分には。

要するに、フィルム写真のほうが画質が良くないと思う人が一般人では多いはずです。これはつまり、フィルム写真のほうが鮮明ではない、情報量が少ないということです。

でもフィルム写真は魅力的だよねと思う人が多い。

このギャップは、脳が作り出しているのではないかというのが私の仮説です。

先ほども書いたように、見えていると思うものは脳が作り出したものです。逆に言うと、情報量が少なくて、脳がたくさん作りだす幅を持つもののほうが、脳はたくさん働くはずです。つまり、創造している。

脳が創造をするとき、脳内にはドーパミンが出ます。ドーパミンは快楽や欲求をもたらすものなので、「なんか気分が良いな」と私たちに感じさせます。

画質の良いデジタル写真を見ているより、画質の良いとは言えないフィルム写真を見ているほうが、脳が創造をする余地が大きい分、ドーパミンが多く出るんではないでしょうか。

その結果、フィルム写真のほうが魅力的と思う人が出てくるのではないかというわけです。

まあ、これは私の勝手な仮説なので、全然違うかもしれませんが(笑)

3.便利さは面白くない

脳が刺激されないとドーパミンは出ないわけですが、便利だったり、すぐできるものは、脳への刺激が弱いので、不便だったり、時間がかかる、面倒なもののほうが脳を使う分、ドーパミンが出やすいのではと思います。

もちろん、不便さなどが「嫌なもの」のカテゴリーになると、ストレスを感じるので、それは快感にはなりませんけどね。

でも、ドーパミンが出ることで、「面白い」とか、意欲とかが出てくるらしいので、何でも便利にすればいいという単純なものでもないということですね。

最近面白いことがないという人は、ぜひあえて「不便」や「めんどくさいもの」を選んでみてはどうでしょう。

新しい発見があるかもしれませんよ!