新年早々、私は新型コロナにかかってしまいました。
10年以上、発熱を伴う感染症になんてかかっていなかったので、久しぶりにきついなあと思っていたのですが、そこで感じたことを書いていこうと思います。
感染症的なことで言えば、今まで経験してきたいわゆる風邪やインフルエンザよりも治りづらいというのが印象です。今までの経験上、症状の出方は片面が急な山の形を描くというイメージでした。しかし、新型コロナの場合は波のようで、少し良くなったかなと思うと悪くなるという経過をたどり、精神的なきつさを覚えました。

また、のどの痛みが人生史上最大で、これもつらかったです。私の場合、熱がそこまで高くは出なかったのですが(最高は38.2℃)、夜中に最高温になることが多く、上手く眠れない日が2,3日ありました。これもきつかったです。
解熱後も、のどの痛み・違和感が発症後12日ほど続き、気分の落ち込みなども見られました。こういう経験は今までになく、新型コロナ独特のものかもしれないと思います。(関係ない可能性もありますが)
総じて、症状の経過が今までの感覚よりも2~3日遅いという印象でした。
もちろん、人によって経過や症状は様々ですし、今流行していると思われるJN.1という株は胃腸に症状が出やすいという話もあるなど、日々状況は変わっています。(私の感染した株はJN.1ではなかったのではと考えています)
まあ、この辺はあくまで私個人の経験なので、さほど一般化できる話でもないのですが、参考までに。
もっと、このサイトの趣旨であるクリエイティブな話をしましょう。
クリエイティブな面から言うと、自分の身体とちゃんと向き合うことを強制された日々でした。
私は普段から不定愁訴(何となく調子悪い)が多いので、比較的自分の身体のことを考えることが多い方だとは思いますが、それでも1週間くらい寝込んでいると、いつもより自分の身体と向き合わざるを得なくなるなと感じました。
それと同時に、「自分が何を欲しているのか」に敏感になるとも思いました。
普段は色々な外部から刺激される欲求であったり、「こうあるべきだ」みたいな価値観に行動が左右されることも多いわけですが、寝込んでいると「本当に自分が欲していること」を感じやすくなります。
普段なら頑張れてしまうことが頑張れないがゆえに「これは本当はあんまりやりたくないんだな」とか。
そういうことが浮かび上がってくるというか。
こういう感覚は大切にしたほうがいいと思いました。
自分のことは自分で決める。
創造性はそこから生まれるものです。他者から評価されるためにやるものではありません。あくまでも自分が主体でなければ、「良い作品/表現」とは言えない。
それを人により伝わりやすくするためにあるのが「技術」であって、「技術」は単なる手段に過ぎません。
それでも人は承認欲求があるから、つい人からの評価を気にしてしまうわけですが、逆に言うと、気にしてしまうものはやりたいことではないのかもしれません。評価されなくてもついやってしまうというものが、きっと自分が本当に欲しているものなんでしょう。
それは何もいわゆるアート的なものじゃないかもしれません。
一般にアートだと言われるものは、しょせん先人がカテゴリー化したものですから、今存在しないものが今後アートとして認知されることだって十分あり得ます。
そうやって考えていくと、「どうやって生きていくのか」という生き様がアートの本質なのではないかとも思えます。
それを作品にしたものがいわゆるアートなのであって、作品にはなっていなくてもアートに近いものはきっとある。
日々、どんな選択をして、どんな人と付き合い、どんなものを買って、どんなものを食べるのか。何を大切に生きるのか。
そういう問いを自分に問いかけ続けることで、自分への深い理解を行うことができるようになり、そういう状態で思いをアウトプットしたときに「良い作品/表現」ができるんじゃないか。
裏返せば、他人や社会を軸に動いていると、アートから離れてしまうということでもあります。
こんなことを寝込みながら考えていました。
自分を大切に。自分の気持ちをよく理解しながら、生きていけたらいいですね。